エホバの証人と虐待。と、私。
私は、元エホバの証人の2世信者です。
2世ゆえ、信者だったかどうかは疑問ですが、ラベルを付けるならそうです。
エホバの証人として記憶があるのは4、5歳くらいからです。
さて、ときどきエホバの証人2世や3世らが虐待を受けたと訴える話が出てきます。
以下の話は、あくまで私個人の経験と主観によるものです。
私はすでに辞めていますけど、エホバの証人をとくに目の敵にはしていないので、批判もしますが擁護もしてます。ご了承を。
私の母を含め、当時の私の周辺のエホバの証人は、”ムチ”と称して、お尻を叩く”躾”をしていました。
ウチは短いホースでしたが、マジでむちゃくちゃ痛いです。
インタビューを受けてた人たちのように、水がしみたり座れないとまでは無かったですが、叩かれた後はミミズ腫れにはなっていました。
もっとも、エホバの証人が組織としてその躾方法を推奨していたかと言われたら、そんなことは無かったと思います。
子供ながらにわりと真面目に講演を聞いていた私の知る限りでは、そんなふうに指導をしているのは聞いたこと無いです。
どちらかというと、躾に限らず指導や教育に関しては言葉で諭す方法が賢いとされてた感じでしたし、非暴力不服従のガンジーのようなことを好んでいる宗教です。
ただ、エホバの証人内のママ友同士の会話の中ではムチの話は何度か聞いたことあります。
子供をしつける方法として、効果があると認知されていたと思います。
逆に、組織もそれは知っていたと思いますが、そういう躾を止めるようにというお達しはとくに無かったと思います。
まぁ私が子供の当時は、クレヨンしんちゃんもアニメの中でみさえにげんこつされてましたからね。
痛さの比ではありませんが、多少の体罰は当時は世間にも普通にありました。
ただ素手じゃなくてムチっていかにも西洋っぽい。
聖書の中でも(本物の)鞭はよく出てきますが、キリスト教でムチって出てくるんですかね。
エホバの証人特有なのは何故なんだろう?、もしかして私が知らないだけで、なんらかの組織的なきっかけが存在したのかもと疑問もあります。
ムチの後、抱きしめて「愛してる」と言う、というのもありました。
アメとムチのアメですね。
直訳的な表現なので、ウチの母はそのままは言ってなかったと思いますが、抱きしめて「あなたのこと大事なんだよ」とか何かしらのフォローをするのです。
(DV男みたい。笑)
当時の私の気持ちは、というと、、、実は母に殺意を持っていました。
抱きしめて撫でられ、私はごめんなさいと言うことで母の躾のシナリオに従いながら、「こんなんで誤魔化されると思うなよ」と思っていたのです。
母の怒りが収まってホッとする・・・なんて健気な子供じゃありませんでした。
「中学生くらいになれば、大人と同じくらいの体格になって力も付くだろうから、その時にはボッコボコにしてやる」
・・・と、思っていました。
体罰は無意味どころか逆効果ってことですね。
いや、ガチの虐待なら、そんな反骨心すら持てないのかもしれませんが。
もっとも、思っていただけでホントに実行するつもりはありませんでした。
母をねじ伏せる力を持つ頃には、ねじ伏せる必要が無くなるだろうことは、なんとなくわかっていましたし。
当時はそう考えることで母への怒りをおさめていたのです。
実際のところ、成長とともにムチの出番は減っていました。
私の記憶では、初潮が来てまだ母に言えてなかったときにちょうど叱られる事が起こり、「(ムチをするから)お尻を出しなさい」と言われ、渋々脱いだら・・・となったので、それっきりです。
私の母はムチ以外の暴力はとくに無かったし、子供が成長し、ムチに頼った躾は必要なくなり、やめたのだと思います。
ニュースで見る2世や3世の話を聞くと、エホバの証人目線でもドン引き事案です。
そんな自ら考えるの放棄した狂信者と、聖書研究者のエホバの証人を一緒にしないでほしい、と正直思います。
まぁ、私はもうエホバの証人じゃないんですけど(笑)
結局、変な躾の方法が出回っているのは問題だけど、虐待が日常化して子供につらい思いをさせているのは親の問題だと思います。
それに、私の場合は理不尽な理由でムチを受けたことは無いです。
兄弟喧嘩をしたとか嘘をついたとか約束を破ったとか、普通の家庭でも親に怒られるような内容です。
エホバの証人の思考や活動に関することでは、怒られたりはしてもムチまで登場したことは無かったと思います。
そのあたりも、子供に訴えられるような親らと一緒にしてほしくないのですが。
組織に「虐待を容認していない」と言われた彼らは何を思うのか。
とはいえ、私の周りにいたエホバの証人だって、間違った情報や考えを言っちゃってる事はあります。
実はたまに組織ごと「見解が変わりました」と発表されることもありました。
それを「人間は不完全だから・・・」で済まそうとすることにモヤッとするんですが、それはまた別の話か。